アジアパシフィックふらふら家族の母さん日記

国際引っ越し&海外出産&トライリンガル育児に悩まされる母さんの日記です!

自己紹介(詳しく)

 

その昔、ものを知らず、人一倍臆病な、親に守られていると同時に自由の無い若い女でございました。

そんなに悪いこともせず、悪いことに巻き込まれず居られたのは、臆病と、ラッキーもあったのでしょう。 

大学の終わり頃、特にやりたいこともなく、世間は怖いし、実家に居ればとりあえず暮らせるし、出来ればヒキコモリたいような心持ちで生きておりました。 それでも一応の就職活動なんかもしていたのは、単に世間のレールから外れるのが怖かったんでしょうねえ。 

親がかりで大学まで出してもらえて恵まれていたのにも関わらず、若い身空で減点法で人生を見ていたなんて、我ながら悲惨な青春だと思います。 

 

このまま希望の無い人生ってのも嫌だなあと煮詰まり、或る時唐突に海外流出。

大学も就職もブン投げて海外渡航を決め込んだわけです。 後に一応卒業証書はいただきましたけれども、当時は何も考えていませんでした若いって怖い。

行き先はオリンピックを控えたオーストラリアはシドニー

理由は英語圏で銃社会じゃなくて当時は物価もそんなに高くなかったから。 1豪ドル65円〜くらいだったです。

 

行くって決めたのに、飛行機の中では怖くて泣きそうだったのをよく憶えています。

もう、いきなり誰かに何かされるんじゃないのとか、殺されるぅー犯されるぅーみたいな支離滅裂な恐怖まみれでした。 じゃあ何で行くんだよ! 日本に残って真面目に卒業して働けよ!みたいな話ですけどね、当時は逃げなきゃどうしようもない!って心境でした。 何から? たぶん、何不自由無く育ててはくれたけれども、海外に行くと決めた娘に反対するでもなく、しかし出発まで毎日のように「何があるかわからないんだからね、ホストファミリーに襲われたって話だってあるのよ、お金なくなったらどうするの、バラバラ死体になんてならないでよ」と不安という呪いをかける、親から逃げたかったのでしょう。

 

着いた先は、もう空港からしてゆる〜い空気と、美味しいコーヒーの香り漂う、まったりと優しい、明るい国でした。 色んな見方もあるし今は様々な経験をしてしまいましたが、総じて私はあの国が大好きです。

 

そこで、私は多くの人に出会い、色々と思うことがあり、、、たぶん、少しは成長し、それまでの自分の殻を破りかけ、、、、、、

 

金と時間が切れて、一度、帰国。

 

その後、就職、貯金、退職、再度の渡豪。

 

たぶんそれまでの人生で一番勉強して、現地の大学マスターコースに進学。

卒業したら絶ッ対定職に就いて、9時5時で働いて後の時間は全て趣味に費やしてやるっ! いつか好きなことをして暮らせるように金貯めてやるっ! と、前向き何だか後ろ向き何だかよくわからないユメを抱いて、二度目の学生生活を送るも、、、、、、

 

現夫と知り合ってあっさり結婚。

 

現夫、クラスメートだったのだけど、企業からの派遣留学生で、その後2年刻みで海外転勤の契約持ち。

ワタシ、結婚願望無かったのですが、暗い十代の反動と、現夫の「ついてきてさえくれたら、あなたが全然働かなくても楽に暮らせるように最大限の努力をします! 好きなことを追求して生きてください!」との甘言?に踊らされ、サクっと結婚。

 

突っ込みどころは満載過ぎて、過去の自分をナグりたい衝動には駆られますが、まあ、私も夫も若かったんだもんねー。

 

以後、海外転勤と出産のコンボで疲弊する人生に突入。

転勤&出産って、ヒット&アウェイに似ている。

効率悪くて、消耗するんだな。

 

夫と知り合ったシドニーをスタートとすると、北京に引っ越して結婚。 次は東京で出産。 1歳になったばかりの息子を連れて再びシドニー。 最高に楽しいシドニーを離れて、活気溢れる香港へ移動して娘を出産。 香港で幼稚園に通い始めた息子、アトピー発症した娘を連れてシンガポールに引っ越し。 わりと最近、久しぶりの日本に居住出来る運びに。

 

この先もどこに行くやらわかりません。 

 

パッキング&アンパッキング、妊娠そして出産もキツいけれど、育児はもっとキツかった。 夫は言葉通りに、「(私がどこぞに務めて)働かなくてもいい」くらいに懸命にお仕事をしてくれていますが、子育ては時間お金体力心をまるごと突っ込むことなんだなーと、親になって初めてわかったです。

 

バタバタの暮らしの中で、好きなことを憶えていたいと思い、ブログを始めました。